最近、心理学の考えが生活の中でよく当てはまるなあと感じることが多い。
どんなに客観的であろうとしても、人間である限り主観の動物で、自分のレンズで世界を眺めている。
だから、「心」や「感情」からは、誰も逃れられないのだと思っている。
その中でも、認知的不協和理論は結構当たっているなと思う。
やけに物々しい名前だが、英語にするとcognitive dissonanceといい、ちょっとすっきりした呼び方になる。
dissonanceというのはdis(不,非)+sonance(音)という語源からきていて、resonance(反響、共鳴)の逆の状態を表している。
何が不協和かというと、認知や行動だ。これらが矛盾を生じた状態ににあると、人は居心地の悪さを感じ、その状態を解消するようにしようとする。
例えば英語のwikipediaで書いてある例でいくと、外出先で酔っ払いたくないという考えを一方ではもっているのに、それでいてワインをたくさん注文して飲んでしまうという場合だ。(参考:wikipedia)
それを解消するためには、ワインを注文するのを控えるか、あるいは認知を変えて、ワインでは酔っ払わないからいくら飲んでも大丈夫だと思い込むなどしなければならない。
この認知的不協和の考えは結構応用範囲が広いなと思う。
例えば、睡眠。
最新の睡眠研究によると、大人の望ましい睡眠時間はおよそ8時間で、過度に少なすぎても、過度に多すぎても身体や脳には有害だとされている(個人差は有る)。寿命が縮むとされているようだ。
ここで、仮に睡眠時間が毎日4時間だったり、12時間だったりする人(後者はそれはうちの母親だ)が、この研究の成果を聞いたとする。
認知的には、8時間を大きく下回っても、上回っても身体に悪いから、だいたい8時間くらい寝たほうがいいとわかっている。
けど、実際の行動では4時間、12時間睡眠をずっとキープし続けてきたし、それに慣れている(習慣化されている)。
どうなるか。
まず間違いなく、行動は変えず、認知を変えるだろう。母親がそうだ・・・。
(「それは一般的に言われていることで、私には当てはまらない」「睡眠のサイクルを変えると頭が痛くなるから、8時間にすると身体に悪く、今の習慣のままが良いのだ」など)
次に、恋愛。
長く付き合ってきたカップルがいるとする。
少々嫌なことがあっても別れないのは、なぜだろう。
これも認知的不協和理論にもとづけば、「いやなことがあった」という認知(考え)と「長く付き合っている」という行動が矛盾を起こしている状態だ。
だから、その状態を解消するために、「いやなことがあったけど、でもこの人にはたくさんいいところがある」と考える方向に走るのだと思う。
人間の心の動きは目に見えるものではないから難しいが、やはり心理学的に言われていることは、ある程度正しい観測に基づいているな、と思う。